埼玉の風俗街について
江戸時代から、日光街道沿いの宿場町には売春宿が立ち並んでいるものでした。つまり埼玉の風俗文化はずいぶん昔から続いているといえます。近代以降も様々な変遷を経て、その業態を変えてきました。戦後はベットタウンとして住民が増える一方で、東京から流れてくる風俗嬢やお店もあり、埼玉は独自の風俗文化を育んできました。都内に比べて店舗数が少ないとは言え、決してあなどれないクオリティの風俗店が数多く存在しています。
大宮風俗の特徴
100年前の1919年には県が認めた売春街として、様々な変化を経ながらも指定区域内で今日まで営業が続いてきました。駅を中心に繁華街(大宮南銀座)が発展し、風俗街(大宮北銀座)にお店が立ち並んでいきました。西川口が摘発以降衰退したことから、埼玉一の風俗街となっています。
西川口風俗の特徴
赤羽から京浜東北線で2駅の西川口は、大宮と同じく交通の便がよく、住宅地と商店街が生まれていました。埼玉で初のソープができた地でもあります。また、川口オートレース場があることからも、男性の遊び場として発展する条件が整っていました。最盛期には日本最大の風俗街とも言われ、いわゆる本番OKなプレイで全国から男性が押し寄せました。風営法取締以降は、大宮に次ぐ店舗数まで落ち着きましたが、当時の雰囲気が今も色濃く残るエリアです。